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コントロール

人は、多少なりとも周りの人、物、事柄をコントロールできればと
思うものかもしれない。

私はそれが人より強いような気がする。
基本的にじっと動かないし、口もあまり動かさない。
面倒くさがりなのだ。
それ以外にも理由はあるだろうが、「こうあってほしいな」とか
割とタナボタ的な発想が多いような気がする。

願望ばかり強く、行動していなくて、「なんでこうならないの?!」と
不満を溜めることが多いような気がすると最近気づいた。

周りの友人に自然に流れるように生きている人がいる。
そういう人は来るもの全てを受け入れて生きているのだろうか。
とても楽というか、無理がなく生きている気がする。

今の世の中、自分で何でもつかまないと的なことを
言われることが多いし、自分も努力してつかんで行きたい、
幸せは努力によって運ばれるなんて考えてもいた。
それががんばる人、まじめな人への甘い言葉であるのは
間違いない。いい響きだ。

でもそうでないことが多い。この歳になってからそんな風な
ことに気づくのは遅すぎるかもしれないが、
努力ではどうにもならないことがなんて多いのだろうという
ことにいまさらながら気づかせられる。

コントロールしようなんて、虫が良すぎたのかな。
ある芸能人が「求められたところで精一杯の力を出す」みたいな
ことを言っていた。
そういう考えもありかなと目からウロコだった。
自分が求めることばかりが正しいと、良いことだと思ってきたから
求められることの必然性、偶然ではなく運命を受け入れる強さを
もてたら、自分も自分らしく生きていくことができるのだろうか。

今の私の最大の課題だ。

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記憶の不思議

人の記憶はやっぱりインパクトの強いものが
いつまでたっても残ると思う。
古い順に消えていくということではない。

昨日あるマンガを読んでいて、「途中の記憶がない」というような
ことが書いてあった。
私にもすっぽりあまり覚えていない記憶のない時期がある。
そのマンガでも同じだったが、非常にショックな出来事の後
それをある程度乗り越えるまでは、生きているのか死んでるのか
わからない状態のようだ。
友人から「あの時こんなことがあったよね~」とか
言われても、さっぱり覚えていないのだ。
生きているので精一杯。息をしてるので精一杯みたいな感じ。

なんとなく空気だけは覚えている。春のおだやかな、それでいて
まったりとして、生ぬるい感じ。
その間のことをもったいないと悔やんでも、どうしようもない。
気づけはずいぶん遠くまで着たけれど、
あの時ああすればなんて思っても、もう取り返しはつかない。

これから先、楽しい思い出を作っていけるだろうか。
生きていることをカラー色で実感して、いつまでも色あせないような
そんな思い出をもう一度手に入れることはできるのだろうか。

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人生で成功するには

自分が思うような人生を送るのに欠かせないこと。
色々あるような気がするが、最近思うのは、
「あきらめないこと」である。

あきらめないことの例を挙げれば、「粘り強くやること」
でもある。
周りの人を見ていると、結構しつこくわからないことは
わかるまでがんばったりしている。
それは、普通のことなのかもしれないが、
私のなかでは「しつこい」は何故かタブーなのだ。
どうしてそういう感覚が生まれたのかは不明だが、
「かっこよくない」とか「周りに迷惑がかかる」なんて
いうのが頭に浮かぶ。なので本や書類やネットなどで
情報はできる限り集めたいと思う。

しつこい人がうらやましい。私の場合はしつこく周りに迷惑を
かけてるうちに本来の欲求までなくなってしまうから。
自分の欲求をずっと貫き通せる人なんて、本当にうらやましい。
だから、幼いころからの夢を現実に変える人なんて
とってもうらやましいのだ。
私の場合はその夢が、「本当にそこまでしてかなえたい夢だった?!」って
消えていくから。

生きていく上で、粘り強さは大事かもしれない。

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人がいいとは

私は、周りで起こっていることに現実味がないことがよくある。
映画やドラマの1シーンを見ているような感覚になるのだ。
その場にいても自分は全く関係なく、周りの人をものすごく
遠くに感じてしまう。

「そういうのを離人症って言うんだよ」と言われたことがある。
離人症は、人がいい人がなりやすいらしい。
いい人ってどんな人?私は結構いい人ではないし。
きっと「周りから良く思われたい人」のほうが正解かも。
要するに「良い子」なのである。
自分は透明な存在。自分は二の次な感じ。
だから未だに「こうしたい」なんていう強い欲求はない。
人に反対されると「ああそうですね」なんて簡単に
夢は萎える。

ずっと昔は世界がモノクロに見えている感じだった。
ある時、心臓のあたりからドロドロしたものが流れる感じで
それが数日寝る前に続いたことがあった。
その後は、モノクロの世界からカラーになった。

周りの人はどうなのだろうか?
私は飲み会や、集まりごとのときに周りがワイワイ騒いでいるときに
それを強く感じる。まるで全然違う世界のことのようだ。

前にも書いたが占い師さんによると私は「人間で生まれる魂じゃなかった。
イルカなんかで生まれるような魂だったのよ。」なんてことを
言われたくらいだから、人間世界には合わないのかもしれない。
(ほんとかい?)

なので、我を忘れて何かに没頭、とか、誰かと話してどんどん
ヒートアップ、なんてことはない。
だから、周りのみんながうらやましい。そんな風に誰かと
無我で笑い合えたり、バカが言えたりするからだ。

無我で気づいたけど、私は逆に常に「自分」というものを
忘れないのだな。常にもう一人客観的な自分がいるのだな。
こういうのと自意識過剰なのが関連しているのだろうか。

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感覚人間

ある意味器用といえば、器用。
私は学生時代、得意科目というものがなかった。逆に言えば
不得意科目もあまりなかった。物理は先生が嫌いでまったく頭に
入らなかったが。

基本的に、理屈というよりも感覚?体の感覚みたいなもので
勉強は覚えていた。だから、それに接しているときは、
なんとなく勘で解けていた。ひどいときなんかは
マークシートが殆んどだったので、英語なんかは前後の文章から
「なんとなくこの単語が入りそうだな~」みたいな感じで解いていた。

国語は勉強した記憶があまりない。漢字も送り仮名があれば
おそらくこの言葉が入りそうといった具合だ。

数学も、一度方程式を解いてしまうと、テストでは同じようなものが
出れば、あまり考えず最後まで長い公式を解いていた。

自慢ではないが、そういう「なんとなく」で解いてきたのだ。
なので、誰かに教えたり、後で説明したりなんていうのが
まずできない。言葉で説明することができないのだ。
「だってそうなるからそうなんだもん」みたいな。

だから、中学でも高校でも成績はほとんど中の上ぐらい。
すんごく頭がいいというわけでもなく、悪いというわけでもない。

大人になった今でもなんとなく仕事なんかはやっている。
一度感覚を覚えると殆んど脳を通らず
手が動くといった感じだ。そのため脳はどんどん
退化していっている感じすらする(笑)

こういう感覚人間は多いのだろうか???

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トラウマとは

ここ数年、人との接し方がわからない。
自分が思っていたリアクションと、相手から返ってくる反応が
違うことが多々ある。
そんなことは当たり前だと言われればそれまで。
だって、みんな違う人間なのだから。
だけど、それが毎回続くと徐々に自信を失っていく。

鏡で見る自分の顔は、能面みたいな顔をしている。
表情がなくて、こわばっているのだ。
昔はこうだっただろうか?
感情を表に出すのが怖くなってから、私の顔は
こわばって硬くなってしまった。

何かトラウマがあるのだろうか?
普通に生きていれば、生きていく程どんどん傷つくことや
つらいことはあるから、それの全てをトラウマと言ってしまえば
本当にきりがない。
私は気づかないうちにそんなに何かに傷ついていたのだろうか?
それは何に?どうしたらそれを克服することができるのだろうか?
原因も分からないのに、対処のしようがない。

いや、原因が思い当たりすぎて、生きているだけで
いつも傷ついているから、防ぎようもない。
日々、人の言動に傷つき、マイナス面だけをとらえていれば
そりゃ、能面みたいな顔になってくる。

一番大切な「信頼」というものが、私にはかけているのだ。
何を言われても、何をされても最終的には「私でOKだよ」という
確証みたいなもの。受け入れられるということ。
だから私は人に面と向かってきついことがいえないし、
笑えない状況でも笑ってきた。そのことで「どこがおかしいの」みたいな
ことも言われてきた。
でも、相手に受け入れられているという確証がない限りは
そう簡単に心を開くことはできない。いや、今まで一人としていない。
そう信じそうになると、離れていってしまう。

逆に私も相手にOKを完全には出せない。
自分が相手を受け入れていないから、相手も受け入れてはくれない。

もうあきらめたほうがいいのだろうか。
私は誰かを受け入れることができない。
ずっと信頼してやっていくことができない。
もうできない。もうがんばりすぎて、無駄な努力をしているような
気がする。本当は自分はそんなことを望んでいないのに
世間体だけで、いい人になろうとしている気がする。

トラウマは、自分自らが原因となって作っているのだろうか。
私は私だからそこから避けることはできないのだろうか。

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思惑とは逆のほうへ

周りの人に、人に話しかけているのか、話しかけていないのか
独り言なのかわからない人がいる。
大声を突然だしたり、「これってどうなってるのかな~」みたいな
ことをぶつぶつ言っている。
その人は人に話しかけるときも話しかけた相手の
名前を呼ばない。

独り言かと思って、仕事をしていると「ちょっと、ちょっと」とか
「ねえ」などとあくまで名前を呼ばずにしつこく
食い下がる。しかもそのとき体はこちらを向いていないのだ。

正直言って、イライラするし、それに職場の人なので
うるさくて仕事の効率が下がる。

私が思うに、その人は自意識が過剰で、
要するに「かまってかまって」タイプなのである。

自分がいかに関心がもたれているか、名前など呼びかけなくても
みんな自分の話を聞いてくれるはずだといった考えが
根底にあると思う。

しかし、それでは逆効果だ。
関わりづらいのでかえってみんな遠ざかる結果となる。

その上、こちらが仕事上で聞いたことに関しては
あやふやに逃げて、濁すタイプなのである。

どうして人はそうやって自分が望んでいることと
逆の結果が出るほうへと走ってしまうことがあるのだろう。
愛情表現が分かりづらい人もいる。

怖いから。嫌われるのが怖いから。試してしまうのかな。
人から好かれる人は堂々としていて、サバサバしている。
こだわりがない。人から嫌われることも恐れていない。
それでいて、殆んどの人から好かれてしまう。

自分を守ろうとする心は、かえって守れないのではないだろうか。

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伸びきったゴムみたい

待ちに待ったGWも終わり、いつもの生活に戻った。
リフレッシュのつもりが、余計全ての能率が悪くなったようだ。

所謂これが「五月病」ってやつなのかな?
今までもやる気のないことは多々あったが、仕事も何をやって
いいのやら、全く何も浮かんでこない。

今の仕事が暇だということも一つの要因だが、
仕事なんて探せばいくらでもあるのである。

仕事ということではなくて、今の私には「生きる目標」みたいなものが
見つけられない。そこまでくるとなんだか重い話だけれど、
やっぱり目標とかゴールって生活するうえで大事なんだろうな。

旅も行きつくした。美味しいものも食べつくした。
友達ともたくさん遊んだ。家の掃除もやった。

これから先何をどうやっていいのか分からない。
希望がないというより、生まれて初めての白紙状態。
今まであった線路が突然消えた感じ。

こういうのをやっぱり「五月病」とか「鬱」っていうのかな。
何か目的がないと生きていけないのかな?
目的がなくてもOKなのだろうか。
あとの有り余る時間をどうやってやり過ごして行こうか。

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