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生きる技術

巧く生きる技術と、幸せに生きる技術は違う気がする。
どちらのほうがいいだろうか?

どちらかと言えば、私は前者のほうを選んで生きてきたような
気がする。
効率良くとか、失敗がないようにとか。

今は後者のほうが良かったかなとか思う。
どうも巧く生きることと、幸せに生きることはイコールじゃないみたいだから。

ちょっと欠点があったほうが人はかわいいし、
変なプライドなんか持たないで、計算なんかしないほうが好感が持てる。

今まで巧く生きることを習慣づけてきたから
幸せに生きる技術はちょっと難しいけど、
できる限り心の声を大切にしていきたい。

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愛情とお金の両立は可能か?

最近不思議に思うことがある。
事務職の女性と同じくらいの年収で、奥さんと子供を養っている男性がいる。
収入がどうのということではなくて、どうやって生活しているのだろうかと
思う。しかも、割と幸せそうで車まで持っている。

私はまだシングルだが、自分一人養うのでも今の稼ぎはちょっと不安。
それなのに、男性でしかも妻子がいるなんて、想像ができない。
でも、ちゃんと生活しているのだ。

収入がたくさんあっても結婚しない男性もいるし、ケンカばかりの家庭もごろごろある。

愛情とお金は比例しないのだろうか?
よくお金がないと愛情はだめになっていくなんて聞くけど
そうでないケースもたくさんある。

しかし、自分に置き換えてみると、自分と同じくらいの稼ぎの旦那様は
あまり頼りがいがあるとは思えないし、甲斐性はあるんだろうか?
尊敬できるんだろうか?と思うし、やっぱりその答えは「ノー」である。

そう考えると、そういう旦那様と結婚している女性はやりくり上手なのだろうと
関心するし、やっぱり愛情のなせるワザなんだろうなと尊敬すら
おぼえてしまう。

自分なら最終的にはどっちを取るんだろうか?
愛情とお金を天秤にかけること自体がおかしいのかな。

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人はどこまで変わるのだろうか

最近良く守護霊が変わると、性格が変わったり、運気が
変わったりするなんてテレビで言ってるのを見かける。

守護霊がどうかはわからないけれど、突然性格が変わって
しまうことはあると思う。

私はある年齢を境に、価値観が変わってしまった。
今までの信じてきたものがリセットされた感じで
どの方向へ進んでいいのか分からなくなったのだ。
今までの道に戻りたいけれど、どうあがいても戻れなくなって
しまった。
それからあっという間に10年近くの歳月が流れて
その間はあまりコレといったことはやっていない。
だからあまり記憶がないのだ。

最近、また少し変化が現れ始めた。
私は天邪鬼なところがあって、人が「右」と言えば「いや左」みたいな
偏屈な性格だった。だから、分かってくれる人が現れても
最終的には離れていってしまった。
今は相手を受け入れることが少し楽しい。まだ運転したての
ひよっこなために、全然ぎこちないのだが、前よりは素直に
人の言うことを受け入れることができる。
昔はどうしてもできなかったのだけれど。
なぜできなかったのか原因はよく分からない。

ただ、周りを受け入れることができてきたから、相手も受け入れてくれて
いるのも分かる。どうして今までできなかったんだろう?
それで失ったもの、人は数知れない。
それはずっと忘れないでいたい。ずっと受け入れていくことができるように。

守護霊が変わったとかそういうことと同じならば、
また全然違う性格になったりするのだろうか?
今度はどんな自分になっていくのだろう。

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短所は身を助ける

私は疑り深い。猜疑心が強い。
人が優しい言葉をかけてくれてもどちらかというと
「社交辞令で言ってくれてるんだな」とか「何かやってほしいことがあるのかな?」などと
かんぐってしまう。

生まれつきの疑り深さだから、何かがトラウマになっているなんて
ことではない。それは自分でもよくわかる。
いや、もしかすると小学生の時に遊びに来た友達が
私の家のお金を盗んでいたことがあったから
それがまだ尾を引いているのかな???
でも、その子のことは嫌いにはならなかった。

私は大きな失敗もなく、挫折もなく、大怪我もなく今までやってきた。
今朝ふと思ったけど、その疑り深さも多少役に立っているのかも。
きっとやばいことには手を出していないから、今までこうやってこれたのだ。

できればいろんなことを信じて、失敗たくさんの人生のほうが
人間としては愛嬌たっぷりの、魅力的な人になれるんだろうけど、
私は私だからそうはなれない。
大切な人、周りの人は信じるようになりたいが。

ずっと疑り深いことは短所だと思ってきた。
友達にアドバイスしたことも、前向きなことはあまりなかった(笑)
それは自分がそういう気質だから、相手に共感したいという
私なりの優しさだったから。
でも、だいたいマイナスなアドバイスなので、いい方向へは行かなかった。

それでも、今私がこうやってやれていることに、絶対疑り深さは
役に立っているのだと思う。
疑り深いのではなく、長所と思えば「慎重」ともとれる。

もっと自分を大切にしていきたい。

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春だから?瞑想のせい?

最近眠くて眠くて仕方がない。
そう思って早めに寝ても同じ。
電車の中では本を読んでいても眠くて先が読めなくなるし、
仕事をしていても眠くなる。

それと関係あるのかは分からないけれど、
ものの名前を聞いてぱっと想像できず、ぴんと来るまでに
少し時間がかかる。
現実生活に焦点が合っていない感じ。
それから、体温の変化も激しく、暑かったり寒かったり
体が熱くなっていたりもする。

この症状になったのは瞑想をやってからだ。
私はこの前初めて瞑想をやってみた。
本を読んで自己流なので、それで正解かもわからないが、
昔の記憶が数珠繋ぎに出てきてとても不思議な感じだった。
瞑想中は周りの音がなんだかものすごく遠くに聞こえた。

この症状になってからは生活に支障を来たしそうだったので、
瞑想をしていないが、少し長めの休みのときにもう一度瞑想を再開してみよう。
もっと何かが起こりそうな気がして。

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普通の人

最近、普通の人っていないなぁ~と感じる。

みんなどこかしら変わったところがあり、人とずれているところがある。
要するにユニークな存在。
それがずっと付き合って慣れていくと気にならなくなり
「普通」の存在になるのかも。

といっても、いつまで経っても慣れない人もいる。
タイミングとか、相手の状態とかをあまり考えずに
行動している人って、いつまで経っても慣れないんだよね。
こっちの都合は全然気にしてないからね。

前はあんまり周りの人との誤差とか、ズレを意識していなかったけど、
歳を重ねるとだんだん感じるようになるのかな?
歳をとると、いろんなことに鈍くなると思っていたのに、
だんだん、逆に自分を意識するようになってきたような
気がする。なんでだろう?

若い頃は自分が定まってなくって、液体みたいな感じだから、
まだ自他の区別がはっきりつかなかったのかな。
今は徐々に固体になっているってことかな。
ようするに我が強いとか、排他的ってことにもなりそう。

できれば少し液体ぐらいがいいかな。
かと言って、気体にはなりたくないけど。

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もっと上へ

先日、学生時代の友人に再会した。
友人は育児に入り、4年ほど前に仕事を退職していた。
彼女は、マスコミ系で勤務し、その世界では割と名が知れている人だ。

会って、話をしていたら、パート的ではあるが、また復帰することが決まったらしい。

彼女は学生時代から頭の回転が早く、何事にも言いよどむということが
なかった。また、度胸もよく、足踏みするということもない性格だ。

就職にしても、人間関係にも全てにおいてタイミングがよく見えて、
とてもうらやましかった。
今回も復帰しようと決めてからすんなり決まったようだ。

しかし、きっと自然体であり、流れるように生きているから
タイミングに乗れるのであって、成功していても
きっと影での努力は怠らず、得ているものが多いようで
その裏で失っているものもたくさんあるのだろう。

要するに潔い生き方なのだ。

彼女がそういったマスコミ関係で仕事をしているということよりも
私はその潔さに脱帽してしまう。
世の中の道理というものをよく心得ているのだ。

仕事も、生活のためにというより、きっともっと高尚な目的に向かって
やっているように思う。

できれば自分もそういう生き方をしてみたい。
少しずつでいいから。

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因果応報

災難が立て続けに降りかかってくる時は、何かのメッセージでは
ないだろうか。運が悪いとかじゃなくて、何かしら自分に関連するように
思う。

職場で、何故だかいつもついてない人がいる。
ここぞという時に失敗するのだ。しかも会社に損害を与えるような
大きさのもの。
基本的には本人が悪いわけでも、本人の失敗でもないのだが、
何故だか運悪く(?)貧乏くじを引いてしまうような人。

たしかにその人が根本的な原因ではないのだけれど、
はたから見ていて他力本願で自分の仕事を人事みたいな
話し方をいつもしている。
きっと遣り甲斐を感じていないんだろうね。

おそらく、そういう気持ちが巡り巡って、よくないことを
引き起こしているように私には思える。
小さな積み重ねでも、ずっと続けているとあらぬ方向から
しっぺ返しがやってくるのだと思う。

いろんなことが起きてもそれはきっと何かのメッセージだから、
悪いことが起きても、そう思えばステップアップの
きっかけと思えて、少し楽になれる。

成長するためには、多少痛い思いをしないと気づかないのかも。

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